気が違っている。

『西郷どん』見ていて、将軍家定役の又吉がはまっていると思った。家定は「大うつけ」「暗愚」と言われ、障がい者説もあって、時代劇でよく見る将軍にはない雰囲気を出すことが役者に求められる。その意味で、又吉の出している雰囲気は異常だ。

芥川賞を受賞して、中学の同窓会に出席した又吉は、女子たちに「あのころはごめんね、気持ち悪がって」と言われて、「やっぱりみんな僕のこと気持ち悪いと思ってたんか」と落ち込んだらしい。たしかに又吉の気は独特だ。

気とは何か。雰囲気、気配、陽気・陰気、殺気などの熟語からすると、「その人が発していて他者が感知できる何か」であるようだ。又吉はもともと独特な気を発している。気が違っているのだ。気の違い様に、良い・悪いということはない。松岡修造と同様、又吉も独特の「気」を用いて、芸人や役者や小説家をやっている。

キチガイ」は差別用語になっているが、けっこう言い得て妙な表現だと思う。

カフカ的とは

つい最近、<カフカ的>と言う言葉を、まったく異なる文脈で見た。ひとつは『わたしを離さないで』の書評でこれは理解できる。もうひとつは、今の政治について<カフカ的>という表現が複数あった。
私の理解では<カフカ的>とは『変身』が典型で、「なんでだか分からないけど今までの脈絡とはまったくつながらない状況にいきなり放り込まれて、我とは何かを考えざるを得ない状態」。民主主義とは何かが問われているのはそうかもしれないけど、突然そうなったわけではない。
ツイッターで<カフカ的>を検索したら、いっぱい出てくる。そんなに一般的な言葉なんだろうか。
なお、大学時代は、単位が取れるかどうかの勉強しかしていない状況を指していた(可不可的)。